自分の思考が出来ないときは情報流入の断捨離を・・・

どうも、こんにちはトッド(Todd)です。

僕は、「自分発信で興味・関心を惹かれたモノしか受け付けません!」と言う風に断言するというよりかは、そういう姿勢を取るように心がけるようになりました。

というのも、コレは僕の性格・体質上の体験なのかもしれませんが、何かを観たり(見る)・聴いたり(聞く)すると僕は影響を受けたり、○○からの感化を受けやすい、刺激を真に受けやすい人なんですよ。

この内容を書こうと思った背景には、海外のメディアニュースなんかを観たりすることがあった時に僕は英語を話すことが出来ないですし英文の内容の理解の方も何となく「こういう内容でしょ?」と、ほぼ感で理解することが多いです。

しかしながら、興味が湧く画像だったり、印象を受けたモノに対してはGoogle翻訳を使ってまで、内容を知りたいと思う事もあるんですよ。

そうやって内容を調べている時に気づいたことなんですけど・・・

分からない言語だからこそ、そうやって調べないと理解が出来ない。自分にとってどうでもよい情報に関しては何も知らなくて済む。見たいものだけを見ることが出来る。

一方で日本語が分かる。日本語で書かれている。又は日本語で見ることが出来るコンテンツに対して僕は容易に情報という名の刺激物を観覧することが出来てしまう。

そこには見る見ないという選択肢は自分次第であってそこに自分的なルール又は規制を張らない限り情報は流れるように自分の中に注がれてしまう。

その結果、自分が何について悩んでいるのか?迷っているのか?何が好きなのか?あふれる情報流入によるインプットにより選択肢が増えすぎることによって中々一つに絞ることが出来なくなったり、頭の中が飽和していくといった感覚を身に染みて感じる事があったのでこの内容を書きました。

いったん止めよう。あらゆるコンテンツを遮断することは自己の思考をする上でとても大切なライフハックであることを知った今日この頃。

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